薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す
藤田嗣治 (1886 - 1968)
昭和20年 油彩・キャンバス・額・1面 194.0×259.5cm
左下に署名、年記
戦争記録画展(東京都美術館 1945)
昭和45年度 アメリカ合衆国 無期限貸与 X00127
東京国立近代美術館
Fierce Fighting of Kaoru Paratroops after Landing on the Enemy’s Position
Fujita Tsuguharu 1886-1968
1945, oil on canvas, 194.0 × 259.5cm
signed and dated l.l.
X00127, Indefinite Loan from the USA, 1970
The National Museum of Modern Art, Tokyo
グラン フォン ブラン(素晴らしい白色)
Grand Fond Blanc (Wonderful White)
原語|中国語 / Chinese
訳|日本語 / Japanese
作:ワリス・ノカン(台湾)
中国語朗読:ワリス・ノカン
日本語翻訳:下村作次郎
日本語朗読:小沢剛
Walis Nokan (Taiwan)
Chinese Reading: Walis Nokan
Japanese Translation: Shimomura Sakujiro
Japanese Reading: Ozawa Tsuyoshi
【原注】
グラン フォン ブラン(素晴らしい白色)(*)
原題は「grand fond blanc」。1920年にパリのサロンに裸婦シリーズの作品を出品し、好評を博した。翌年、藤田は“モンパルナスの女王”と呼ばれたキキ(KiKi)をモデルとして、まるで陶磁器のような乳白色の肌で「素晴らしい白色」(グラン フォン ブラン)と絶賛され、さらに、浮世絵のような繊細で生き生きした線と複雑な色彩を取り除いた極めて素朴な色調で、パリの画壇に昇りつめた。
藤田先生、あなたは猫に倣って
獰猛な猫になり(*)、人間の国で
自由自在に生きている、そうですよね?
藤田嗣治は、「猫」(1940年)と題する大きな作品のなかで、猫だけ単独に描きはじめたが、「獰猛な猫」は、十数匹の猫が攻撃し合ったり、背を弓なりに伸ばしたり、爪を立てたり、空中に飛ぶように飛びあがったりで、どの猫も顔は獰猛な表情をしている。
ああ、ついには大東亜共栄圏の帝国に
囚われの身となり、山口蓬春、向井潤吉
小早川篤四郎、井原宇三郎、鶴田五郎(*)……らとともに
立つことを選んだ
山口蓬春、向井潤吉、小早川篤四郎、伊原宇三郎、鶴田吾郎……。1942年以降、「新体制」をいっそう固めるために、陸海軍は慎重に著名な画家をたえまなく南洋に派遣して、戦争の記録絵画を制作させた。その結果、彼らは頻繁に台湾を経由するようになった。このような人々には、藤田嗣治、山口蓬春、向井潤吉、小早川篤四郎、伊原宇三郎、伊勢正義、鶴田吾郎、宮本三郎らが含まれ、ほとんどの人が台湾に来てスケッチを行っている。
私は「五人の裸婦」(*)の乳白色の肌を思い出す
「五人の裸婦」は、藤田嗣治、1923年の作品。
エデンの園のアダムとイブ(*)が、禁じられたリンゴをこっそり食べたのです
“エデンの園のアダムとイブの画像”は、藤田嗣治、1918~1920年の作品。
無表情な子供(*)が戦後の世界を見つめています
“無表情な子供”について。1950年に藤田は再びフランスに赴いたが、ほかの時期と比べると、子供を主題とする創作が明らかに増えている。早く、1910年代末期に、藤田は児童や少女を書きはじめたが、比較的早期の作品には、児童や少女の天真爛漫さが強調されていた。戦後の多くの作品のなかの児童は、純真さを失って、厳粛で大人びた顔つきになっている。
【訳注】
わかっているように、私たちは第三の道(*)を歩いていました
「第三の道」とは、作者の説明では次のとおりである。藤田は当時の日本に受け入れられず、ヨーロッパに来ても現地人になりきることができなかった。そこで、主体的な個人主義の道を歩いた。
ワリス・ノカン
台湾のタイヤル族の作家。1990年代、原住民文化に関する「猟人文化」誌の発行などを通じ創作に変化が生れ、タイヤル族の文学スタイルが打ち出された。多くの重要な文学賞を受け、1996年、「伊能再踏查」で時報文学奨新詩類評審奨を受賞。邦訳書に「台湾原住民文学選3 永遠の山地 ワリス・ノカン集」(草風館、2003年)。原住民文学の発展と原住民の歴史に対する理解について主導的な役割を果たし続けている。
Walis Nokan
Walis is a writer of Atayal (indigenous people of Taiwan) descent. During the 1990s he started publishing a magazine about indigenous culture and launched an Atayal literary style. The recipient of many literature prizes, He Makes Another Survey (1996) was a semi-finalist for the 19th China Times Literary Award. His work has been widely translated. He continues to play a leading role in the development of indigenous literature and the promotion of public awareness of indigenous history.